[自己紹介]すべての生きづらさを持つ人のために
これからThe Letterで連載させていただく難波寿和(なんばひさかず)と申します。私は。公認心理師と臨床発達心理士の資格を持つ発達障害の当事者です。また家族は4人家族ですが、妻も子供も発達障害の診断があります。発達障害児の親としての立場もあります。普段は、発達障害等のお子さんから大人までの療育や相談、カウンセリングを行っています。北は北海道から南は沖縄まで、電話カウンセリングを行っています。対象は、当事者の方だけではなく、保護者、家族、支援者、一般の方の相談も受けています。他にも、放課後等デイサービスの施設改革プログラムの提供、相談支援事業所や基幹相談支援センターにおける相談業務、時には、全国各地へ発達障害&支援者向けの講演会活動も行っているところです。このように様々なところで当事者や家族の思いを拾い、支援者と連携しつつ、社会がどのように変容していくことが望ましいか、臨床経験と当事者の実体験を含めて話をしていきたいと考えています。
このニュースレターを書いていくうえで、特に他のコラムなどとの違うことと、自分自身が大切にしていきたいと考えていることがあります。まずは違うこととすれば、発達障害当事者の視点と、公認心理師という視点を分けながら、一つのテーマに沿って考えていくところに他の部分とは大きな違いがあると思われます。普段、療育やカウンセリングをしていて(守秘義務があって勿論話すことができませんが)、アドバイスを当事者や保護者にさせていただくときに、発達障害の当事者として言えることと、公認心理師として望ましい対応方法を伝えることと、分けて説明をしています。当事者が思うことと、支援者としての判断が時には、私の中で反発しあうことも、度々あります。そうした矛盾を抱えつつ、日々当事者や家族の生きやすさに向けて私には何ができるのか苦悩や葛藤、歓喜をしているところです。他にもっとも大切にしているところは、そういった苦悩や葛藤の中に、少しでも一筋でも、「心の生きやすさ」を持つにはどういう生き方ができるのか、そういうことを常に考えていっているところです。
話は変わりますが、私に「そんなに年中ずっと働いていて、余暇や趣味はなんですか?」と聞かれることがあります。そういうときにいつも答えているのが、「趣味は、発達障害」ですって伝えると、皆さん納得されています。そう言うにも実は経緯があります。少し昔話をさせてもらいます。私は2025年現在43歳で、13年前の30歳の時に発達障害の診断が降りました。発達障害の診断が降りる直前までは、発達障害者支援センターで心理士の資格を持って相談員をしていました。それまで障害のある方を支援する仕事についていて、そのうえで発達障害の生きづらさを持ちながら生きていましたが、会社などからの圧迫により、精神的に疲れ果ててしまい、そして病院に診断をもらいに行ったのが、きっかけです。その時のしんどさは、鉛の甲冑を着て朝は起き、夕方まで不安や焦燥感に襲われ、夜になったら眠れない。そういった生活を診断後も6か月に続けましたが、いよいよ体とメンタルが壊れてしまい、休職することになったのです。休職したときに思ったのが、「もう死のう」と思い、死ぬ期日を決め、そのための用意を必死にしていました。死ぬことについては、誰にも相談せず、一人薄暗い部屋の天井を見てただその日を待っていただけでした。その時に一通のメールが届いたのです。大阪の高校時代の友人からでした。友達が私の異変に気付き、大阪に呼んだのです。とある虫の知らせがあったことを後から聞きましたが。大阪に行く日が、死ぬと決めた日の2週間後だったので、死ぬことをいったん保留にしたのです。2週間後、友達に会ったときに、温泉の隅っこでお互い号泣しながら語り合ったのを今でも鮮明に思い出されます。「また明日も生きてみるか」と思ったその後ぐらいに、「どうせ捨てた人生なら発達障害の人のためにできることをしよう」と誓ったのです。
さて、本題に戻りましょう。生きやすさとは何か?このギスギスしている社会の中で生き抜いていくために生きやすさがどういうことをもたらすのか。休職しているときに必死に考えました。それまでの私は「発達障害であっても、改善すれば何とかなる」と思って自分を追い詰めていました。でもその考え方が間違っていたのです。「改善すれば、次の改善が待っていて、また次のできないことを探すことになってしまい、きりがないからあきらめた」ということです。では「発達障害があってすべてを受け入れることをしてはどうか」とも考えました。考えてみたのですが「全てを受け入れてしまっては、何もかもあきらめて何もできなくなってしまう」という結論になったのです。このように一つ一つどういう考え方が一番バランスがよいのか考えてみると「車の両輪のように、改善しつつも、ちょっとあきらめつつ、自分のペースで生きる」というのがよいのではないか、それが障害受容ではないかと思うようになったのです。
今の社会は、発達障害が改善できる、発達障害は良くなるというフレーズが氾濫していて、発達障害の当事者がどう生きれば自分のペースで生きれるのか、はっきり書いているものが一つもありません。発達障害当事者としては、当事者の声を置き去りにした状態で、支援方法が蔓延しているところに、支援法だけが先行していることに警鐘を鳴らし続けています。
少しでも当事者が生きやすく生きれるための処世術を今後テーマにそって話をしていきたいと思っています。主には、「全般」「家族・支援者」「当事者」「子育て」に分けて、全ライフステージに沿って話を展開していきたいと思っています。何回か連載したのちにまた整理をさせていただくことになるかと思いますが、試行錯誤させていただくことをご了承ください。
最後に私が伝えたい信念はこれです。
「全ては発達障害当事者の生きやすさのために」
よろしくお願いいたします。
すでに登録済みの方は こちら